Wednesday, November 15, 2017

Apple と Google の企業文化の違い

先日、Apple で働いたあと最近 Google に転職した人、何人かと話をする機会があり、彼らの経験した Apple と Google の違いについて興味深い話を聞くことが出来た。ちなみにシリコンバレーではなかなか珍しいが、私もエンジニアではないしその場にいた全員がエンジニアではない。

その場にいた一人は Apple で五年ほど働いたあと最近 Google に転職をしたばかりで、Google の新入社員向けトレーニングを受けたときにあまりの働き方、製品の考え方の違いにカルチャーショックを受けたと言っていた。そのトレーニングの中でも特に衝撃的だったのが、Google の「ポストモーテム」の文化だったという。

「ポストモーテム」(個人的には「ポストモータム」のほうが英語の発音に近い気がするのだが、日本語入力が一発でカタカナに変換してくれないのでおそらくポストモーテムなんだろう)とは、直訳すると「検死」、IT業界では何かしらの大きな事故(サイトが落ちたとかサービスが一時的に停止したとか)があったときに、その事故に至るまでの経緯を客観的・時系列的にまとめて公開し、それを分析することで再発防止のために具体的にどのように取り組んでいくかを洗い出すことだ。Google のポストモーテム文化について調べてみたところ、Google の Site Reliability Engineering (Google のシステム運用管理エンジニアの呼称)がオンラインで公開している彼らのチームや働き方紹介の本に詳しく記述があった。

Site Reliability EngineeringPostmortem Culture: Learning from Failure

この本によるとポストモーテム文化に重要なのは人を名指しで批判したり誰かの責任というのではなく、非難をせずに建設的に分析を行うことで、それによって過去の失敗から学ぶことができるのだという。さらに、非難なきポストモーテム文化を醸成することで、その後誰かが大きな問題につながりうる失敗をしたときに、非難を恐れて失敗を隠そうとし、その結果更に事態が悪化することも防げるようになる。
ちなみにポストモーテムの文化も含めた多くの IT 企業における社内文化はエンジニアリングの世界で形成され発展してきたものだが、それが非エンジニアのチームにも適用されていることが多い。たとえばポストモーテム文化のある会社では、上記の SRE の本に紹介されているようなエンジニアにおける大事故(ユーザーの目に見えるサービスのダウンタイム、データロス、リリースのロールバックなど)に限らず、非エンジニアチームでもある程度の規模を超える事故のさいに同じようにポストモーテムを行っている。

このように、なにか大きな問題が起きうることをもともと想定した企業文化を是とする Google と Apple は全く対局にある。

Apple は世界で最も優秀な人材のみを採用して世界で最も素晴らしい製品を生み出すことをミッションとしているので、そもそも発売・公開後の製品に問題が起こるわけがない、という企業文化にある。

それは社外に公開する製品だけに限らず、社内におけるコミュニケーションにおいても同じ行動指針が適用される。ある程度以上の人数を想定した会議におけるプレゼンテーションでは、何十回もそのプレゼンの内容を反復し、そのプレゼンにおいてその場における意思決定者に覚えてほしいことを3つ挙げ、その三点が伝わるかどうかに焦点を合わせて余計なものはすべて削ぎ落とた、シンプルで完璧なプレゼンテーションを目指す。
その過程においてもしその会議において意思決定者、意思決定してほしい三点が見つからない場合、そもそもその会議が行われる必要はない、ということになる。

その場にいた元 Apple 現 Google 社員の人全員が、Google に入ってから社内のプレゼンテーションのデザインのいいかげんさや意思決定を目的としないブレインストーミング的な会議のありかたにとても衝撃を受けたと言っていた。

このように Apple では社内の意思決定のプロセスの一つ一つにおいて完璧なものだけを目指しているので、もとより失敗を想定した企業文化というものは存在しないのだという

働く側の目線から考えると、常に失敗できない環境で完璧を目指し続けるプレッシャーは相当なものなのではないかと思われるが、一方で常に自分の仕事ひとつひとつにプライドを持って自信のあるものだけを世に出していくという厳しい規律を課すことでしか、Apple の製品は生み出されないとも言える。

この企業文化の差は、会社がハードウェアの会社としてはじまったのか、ソフトウェアの会社としてはじまったのかにも依存しているのかもしれないが、一口に「シリコンバレーの大企業」といってもその企業としての製品の生み出し方はかなり異なっているのだ。
それでも企業間での人材異動が激しく行われていることを考えると、企業文化をつくるのは人でありながら、人の集合体によって醸成された文化それ自体は、その集合体を構成する人が入れ替わっても維持されているようで興味深い。

Amazon から Google に転職した人、Google から Amazon に転職した人とも知り合うことが出来たので、今度機会があればこの二者の企業文化の違いについても話を聞いてみたい。

(残念ながら何故か現 Apple 社員と知り合う機会が何故かなかなかないため Amazon <-> Apple はしばらくできそうにない。何故なのだ・・・・)





Saturday, October 28, 2017

ジョブ型雇用ではある日突然クビになる


前回の投稿で、自分の身に起きたことがないためにもっとも重要なポイントについて書くのを忘れていた。

自分の出した成果と一切関係なくクビになることがあるのでつらい


この業界で十年ほど働いていて、身近な人で会社の都合でクビになった人を数人、クビになる可能性があった人を10人以上知っている。いわゆる「意識高い系」でも交友関係が広い方でもまったくなく、同じチームまたは近いチームで一緒に働いたことがある人(その後の転職先の場合も含め)だけをカウントしてそのくらい。全員個人の業績には全く問題がなく、部署ないし部署内のチーム自体が解散となりある日突然フルタイムの転職活動が始まる。これは、いつだって自分の身に起きてもおかしくない。

ジョブ型雇用の会社では、各組織、各部署の役割や目標とされていることが明確な一方、その目標や行っている事業自体が、そのチームのあげている成果だけではなく、社会情勢、競合、自社または競合の会社の買収などさまざまな事情で継続が難しくなったとき、ある日突然「解散します。3ヶ月以内に社内で他のポジションを自力で探してください。見つからない場合は退職してもらいます。」ということになる。私が勤務しているのは従業員数万人規模の大企業なのでクビになる前の比較的社内職探し可能期間は長めだが、とはいえその時点で社内の空きがあるポジションに一気に人が集中するので、全員が結局社内で仕事を見つけられるとは限らず、そのうちの何割かは次の仕事が決まっていない状態で会社を去らざるを得なくなる。

そういうことが起きるのは、たいていしばらく利益があがっていないチームであることが多いので全く青天の霹靂で突然クビになる、ということはあまり多くはないが、とはいえこの場合個人のスキルや成果には全く関係がない。あなたがどんなにやりがいのある仕事をみつけて、高い成果を上げて、目標に向かって邁進していたとしても、ある日突然「この事業は会社の方向性と合わないのでやめます。この部署は解散です。仕事を探してください。」と言われるリスクはゼロではない。そうなったときに、企業名や職種名ではなく自分自身のスキルとそれまでに培った人脈でいつでも次の仕事探しができるように常に備えておくために、日頃の業務プラスアルファの努力が必要になる。

つい最近も同僚が 10 月末までに社内転職先を見つけられない場合クビ、という状況で、会社に籍を置きながらも毎日フルタイムで社内外の職探し、同僚が少しずつ次の仕事を見つけていくニュースを聞きながら、来る日も来る日も面接、という日々を乗り越えてやっとなんとか次の職を見つけたばかりである。その同僚の体験談を聞いて、自分は本当にそのストレスに耐えながら就職活動を続けていくことができるのか?と正直なところ不安になってしまった。

そのような場合の退職はジョブ型雇用が一般的な社会では「クビ」とはいえこのようなパターンが就職活動においてネガティブに捉えられることは一切ないので、まあなるようになるのであろうが、社会人生活に用いて必要とされるエネルギーと精神力は、ジョブ型雇用とメンバーシップ雇用ではだいぶ差があるなと改めて思った次第である。

Friday, October 20, 2017

ここがつらいよジョブ型雇用

前回のポスト、想像していたよりも多くの方に読んでいただけたようでありがたいです。というわけで前回の続きとしてジョブ型雇用社会に身を投じてみて発生した辛さについて。(もちろん良いところもいっぱいあるのですが、良いところはすでに多くの記事で言及されている気がするのと性格が歪んでいるので皆が褒めるものほど悪い部分について話したくなる)

自分で能動的にキャリアをつんでいかなければいけないのでつらい


ジョブ型雇用社会では、異なる幾つかの環境で多様な、でもなおかつ一貫性のある仕事を経験していくことでキャリアを積んでいくのが基本。前回書いたこととも重なるが、ジョブ型の場合は採用された時点である特定のスキルを持っていて、それを活かしてどのような貢献が求めれているかがある程度明確なので、同じポジションにとどまっていると同じことをずっとやりつづけていくか、もしくはその業務は完了して不要になるのでどこか別のことを探してね、というどちらかになりがち。数年間(周りを観察する限りだいたい三年から五年くらい)おなじポジションで成果を出したら、昇進して一段階上のレベルでいままで自分が行っていた業務を管理する側のポジションで働くか、社内または社外で今までの経験を活かして異なるスキルを伸ばす、もしくは管理できる領域の広いポジションを探していく。そのようなスパンでさまざまな会社を経験していきながら、たとえば三度目の職探しのときには大学での専攻、一度目の職務、二度目の職務が一気通貫して活きるようなポジションではないとなかなか採用されづらい。特にシリコンバレーで非エンジニア職だと、アメリカの一流大学または MBA を卒業してこのあたりに仕事を求めてやってくる超優秀人間は大量生産されているので、「職務経験にあんまり一貫性はなくて今回の職務に直結する経験はないけど、まあ優秀な方です、ソフトスキルあります」程度だと、採用側からすると活躍してくれそうな確度は優秀な大学生または MBA ホルダーのほうが高い。

さらにシリコンバレーの企業はどこも変化が非常に激しいので、今自分のいる会社の主力事業が五年後、十年後に何になっていて、自分が今やっている仕事がそのときに必要とされているのか、どのようなスキルがあれば会社に貢献し続けられるのか、確実なことはなにもわからないので、能動的に業界全体の動向や収益性、会社の具体的な方向性について常にアンテナを張っておかないといけない。


マネジメントがまともじゃないとつらい


日本でもアメリカに来てからも、何度か社内転職をしたりあるいは組織改編でチームのマネジメントが変わることがあったが、ジョブ型雇用の会社ではマネジメントがしっかりしたビジョンを持っていないとかなりつらい。採用時のみならず人事評価の場合にも、ジョブ型雇用の会社では、会社全体、組織全体の長期的な目標をもとに、それを達成するためにどのように貢献するかで個々人の目標が設定され、その目標に対する貢献度によって評価される。会社全体、組織全体の明確な目標がない場合、どのように他のチームと役割分担をしながらだれがどの役割を果たしていくのかが明確にならないし、そもそも具体的にどのような人材が必要なのか不明確なので、それこそなんとなく優秀そうな同じようなスキルの人が複数のチームに採用されて、誰が何をやるべきなのかいまいちわからないまま、これお前の仕事じゃないのかよ、とかなんでお前が俺の仕事やってんだよ、とかフラストレーションを溜めながら仕事をすることになる。会社全体のどのような目標に対してどのように貢献しているのかも可視化されづらいので、やりがいも相当少なくなる。で、周囲の人材流動性が高くまわりに採用の口はいくらでもあるので、優秀な人からさきにどんどんと流出していってしまう。人が定着しないのでノウハウもたまらず、組織全体が負のループにはまる。

コネがないとつらい


社内・社外問わず転職活動をするときには、具体的にいままでどのようなポジションでどのような成果を上げてきたのかが最も重要になるわけだが、特に非エンジニア職の場合個々人のアウトプットが具体的な成果物になっていることは少ないので、(偉業をなしとげたチームに所属していたとしても、その人が貢献していたとは限らない)一緒に仕事していた人の口利きが重要になる。さらにその口利きは、同じレベルで仕事をしていた同僚では弱くて、上司、さらにその上の上司あたりが口利きしてくれないと効果が弱い(いわゆるスポンサーシップというやつ)。自分が転職活動をしているときに自分の現在所属する部署の上司やその上司が積極的に自分の転職を支援してくれることはあんまりないので(部署ごとなくなるので全員転職活動しているときとか、別の場所に引っ越す必要があるので仕事探しているとかさまざまな事情でそういうこともあるけど)、過去の上司やその上司がいざというときに口利きしてくれるかどうかが非常に重要。なのでそういう関係性づくりを日頃から心がけていかなければならない。アメリカの採用はコネかよ、、最悪だな、、と思っていた時期もあったが、特にジョブ型採用では、会社のカルチャー、部署のカルチャー、仕事の仕方、特定の職種のチームとスムーズに働いた経験、など多角的な経験がものをいうので、採用する側からすると、一緒に働いたことのある人の口コミほど信頼できる情報はない。実際に、優秀な経歴をお持ちで鳴り物入りで入ってきた人が、チームの働き方に全く合わず即辞めていくことを何度か見ているうちに強くそう思うようになった。



いわゆる日本の大企業に入社して活躍している友人の話を聞くと、いわゆる「出世コース」が用意されていて、何年どの部署でどのような仕事をしたあとは、何年海外で駐在して、日本に戻ってきてこのようなポストに収まって、みたいなパターンがあるようである。変化の少ない業界であれば、会社が長期的な人材育成の面倒をみてくれるのであればそれにこしたことはない。まあその会社がその後も長く同じような人材を必要とするビジネスモデルを維持しているのであれば。

ジョブ型雇用の、そして非常に変化の激しいシリコンバレーの IT 業界では、相当意識的に仕事を選び、コネを作り、他の会社や社内の他の組織がどのように回っているのか常に気にしている必要があるので、そのような「意識の高さ」を維持できる人でないと数年後に今と同じ、あるいは高い給料をもらってやりたいことができている可能性が低くなってしまう。個人的にそれが合うか合わないかは好き好きだし、業界によってはメンバーシップ型のほうが社員の幸福度が高いケースも少なくないのではないだろうか。

Sunday, October 15, 2017

ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用はパズルと積み木

社内転職でアメリカに行こうかなーと思って社内就職活動をはじめてから実際にアメリカに来て働き始めて、ずっと採用や人事評価で結構違いがあるよなーと思っていた。これがつまりジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用の差というものなのかもしれない。

メンバーシップ型採用は、積み木。さまざまな大小似たような形の木のピースがあり、それをすべて使って何かを作らなければならない。持っているピースをできるだけ効率的にすべて使わなければいけないので、完成形のイメージは曖昧でおおざっぱ、「城」とか「工場」とか。いくつかのピースには特徴がある(三角形で一番上に乗せられなければならない、丸いので両側を細長いピースで挟まないと安定しない、など)ので、それらを支える形で汎用性の高い四角いピースをたくさん使って何かを完成させる。もしもピースが余ってしまっても簡単に捨てることはできないので、そのときは申し訳程度に横に並べてみたりするしかない。また、もしもピースが足りなくなったとき、新しく追加するにはお金がかかり、また追加したピースは簡単には捨てられないので、使い捨てピースで間に合わせるか、持ち合わせのピースで無理して細長く積み上げたりすることもある。上に置く用の三角形の特殊ピースばかり余ってしまうこともあるが、その場合もどこかに積まないといけないので、余った特殊ピースを乗せるためだけに追加で小さな城を横に作ったりする。
ピース側からすると、一回捨てられてしまうと別の積み木にいつ追加してもらえるかわからないので、できるだけ長く同じ場所で活用されるように汎用型の四角いピースを目指すことが安牌。

ジョブ型採用は、パズル。明確にどのような絵を描きたいかが決まっていて、そのためにできるだけピッタリとハマるピースを探す。どのピースもほとんどが特殊ピースなので、ぴったりはまるかはまらないかが明確で、すぐにピースが余ったり足りなくなったりする。それぞれのピースは捨てることも新しく追加することも比較的かんたんなので、描きたい絵が変わったり、描いてみてあまりうまくいかなくなったらいくつかのピースあるいは絵の一部を構成するピース群を捨てたり追加したりする。
あなたがどのような形のピースで、どのような場所にピッタリはまるのか明確な方が使われやすく、汎用性が高い特徴のない形のピースだと面白い絵が描けないのであまり役に立たない。

アメリカは明確にいわゆるジョブ型採用の社会なので、大学で勉強したこと、今までの経験をもとに入社して一日目から大活躍できるような人材が求められている。過去に同じような業界での同業種で活躍した経験があるとか、その業種を相手にするような仕事をしてきたのでどのようなことが要求されているかがよくわかるとか。企業側はできるだけ職種と求めている内容を明確にして、それにぴったり合致する人を採用することを目指す。

ジョブ型採用で一番好きなところは、それぞれの人がそのポジションで成果を発揮できるかどうかはその職種で要求されていることとその人のスキルの一致・不一致でしかないので、もしあきらかに業績の低い社員がいても、その人と職種が合ってなかったね、という話なのでその人自身の人格攻撃になることが少ない。
日本にいたころにたまに聞いた「あいつは仕事ができる」「あの人は優秀」みたいなぼんやりとしたハイスペック人間、みたいな評価があんまりないし、仕事できない=人間として価値が低い、みたいな考え方がない。コミュニケーション能力が高いとか、空気が読めるとか、そういうソフトスキルもそれが要求されている仕事であればそのような資質が高い人が評価されるけど、すべての仕事にそれが要求されているわけではない。

また、パズル型モデルでは企業が描きたい絵を明確にしていないとはじまらないので、企業理念や短期・長期の目標がより具体的で明確。求職者、社員はより具体的に、企業が目指していることと、自分がそれにたいしてどのように貢献することを求められているかがより明確なのでやりがいもある。万が一クビになってもそれは自分の人間としての能力が低いわけではなく、たまたま企業の求める資質と自分の能力がマッチしなかっただけ。

個人的にはアメリカのジョブ型採用のほうがわかりやすくて好きだが、その分自分で自分の長期的なキャリアを意識的に考えて自分の「特殊技能」を伸ばしていかないといけないので疲れる部分もある。

それから、同じ企業内でも日本法人の人はメンバーシップ型雇用のメンタリティがあるので、相手の職種や責任範囲に関係なく、ちょっとこれできるんだからやってよ、みたいな仕事の頼み方をして「これは俺がやることじゃねぇだろ。なんで頼んでくるんだよ」といった微妙な議論を産んでしまうことがたまにあって見ていてつらくなる。というか日本で働いていた頃は自分も同じようなことしてたかもなー。

まあでもやはりアメリカの採用システムのほうが好きか嫌いかで言えば好きだ。この採用システムの中でこれからずっと活躍していけるかどうかはまだわからないけど。